この用水は、水のない天神野台地を開墾しようと慶安2(1649)年に東尾崎村の国木次郎左衛門の提唱で、時の郡奉行、山本清三郎の監督のもと着工し2年間で完成しました。
 片貝川右岸の東山から山腹ぞいに水を引いたもので、途中の東山と天神山の間にあった高円堂谷を埋め、その上に幅3m、深さ1m、長さ220mに及ぶ木製の樋をかけました。この埋め立ては困難を極め、高さ20mあまり、長さ200mあまりの長大な堤を、鍬とモッコを使い人力だけで築き上げるという想像を絶するものでした。伝承では、人柱を捧げて工事の進捗を祈願したという話もあります。